[概要]
東京農工大学は、農学と工学という異なる知の領域が交差する、非常にユニークな学びの場です。大学での学びの特徴は、知識を「受け取る」こと以上に、自ら考え、選び、決断する場面が多いことにあります。大学生活で積み重ねる一つひとつの選択と決断が、将来の可能性を形づくっていきます。
本講義では、そのような大学生活を考えるための視点として、「エントロピー(Entropy)」という概念を導入します。エントロピーとは物理学において、系が自然に無秩序へと向かう傾向を表す指標です。社会、環境、文化も同様に、意図的な働きかけがなければ、次第に秩序を失っていきます。つまり、現状を保つためにも、意識的な行動とエネルギーが必要なのです。
この視点から見ると、未来への向き合い方は大きく二つに分かれます。一つは、「どうせ崩れるのだから何をしても無駄だ」という悲観的な態度。もう一つは、「誰かが何とかしてくれるだろう」と行動を他者に委ねてしまう受け身の態度です。しかし、どちらの態度も、変化の中で主体性を失いやすくなります。未来が確定していないからこそ、皆さん一人ひとりの選択と行動には意味があります。
現在は、生成AIが大量の情報やコンテンツを生み出す時代です。情報があふれる一方で、文脈や意図を欠いたまま受け取れば、それは単なる「ノイズ」になりかねません。しかし、私たち人間がそれらを批判的に読み解き、目的をもって選び、意味づけることで、新しい価値や秩序を生み出すことができます。技術が進化するほど、人間には倫理的な判断力と創造的な関与が強く求められます。
本講義では、「Time is Life(時間は命)」という視点を軸に、大学における時間の使い方、選択と決断の重要性、そして多様な経験が将来のレジリエンスにつながる理由を、具体例とともに考えていきます。このキャンパスでの経験が、皆さん自身のフロンティアを広げ、未来を形づくる力となることを願っています。
(Lenggoro, 2026/4)

[Overview]
Tokyo University of Agriculture and Technology is a uniquely interdisciplinary learning environment, where the distinct domains of agriculture and engineering intersect. What sets university education apart is not simply the reception of knowledge, but the many moments that call for independent thinking, deliberate choice, and decisive action. Each decision you make throughout your university life gradually shapes the possibilities that lie ahead.
In this course, we introduce the concept of entropy as a lens through which to reflect on university life. In physics, entropy describes the natural tendency of systems to move toward disorder. The same principle applies to society, the environment, and culture — without intentional effort, order gradually breaks down. Even maintaining the status quo requires conscious action and energy.
Seen through this lens, there are two common ways of facing the future. One is pessimism: “Things will fall apart anyway, so nothing I do matters.” The other is passive optimism: “Someone else will figure it out.” Both attitudes, however, tend to erode agency in the face of change. Precisely because the future is not predetermined, the choices and actions of each one of you carry real weight.
We live in an era when generative AI produces vast quantities of information and content. When received without context or intention, that information risks becoming nothing more than noise. Yet when we — as human beings — read it critically, select purposefully, and construct meaning from it, we become capable of generating new value and order. The more technology advances, the more urgently it calls for ethical judgment and creative engagement from us.
This course takes “Time is Life” as its guiding perspective, exploring through concrete examples how we use time at university, why choices and decisions matter, and how diverse experiences build the resilience we will need in the future. It is my hope that your time on this campus will broaden your own frontier and become a force that shapes the future you will create.
(Lenggoro, 2026/4)

tuat.ac.jp(大学のアカウント)で動画をみることができます >> ver. 2026/4 (Movie 25 min): 新入生科目「大学では視野拡張と決断の数が重要 “Expanding your horizons and the importance of making decisions in university” (in Japanese)
tuat.ac.jpアカウントを持っておらず、ビデオをご覧になりたい場合: If you don’t have tuat.ac.jp and you want to see the video: 理由もつけてください。Write your reason and email address, via:
大学では視野を広げることと決断の数が重要である
2026年4月、新入生向け必修セミナー(約26分)での講演を、読み物として再構成したものです。
新入生の皆さん、こんにちは。レンゴロと申します。今日は、大学に入って何が変わるのか、という基本的なお話をしたいと思います。
1. 大学で一番変わるのは「自由度」
高校までと大学を比べて、一番変わるのは自由度です。自由度が一気に上がります。授業の取り方、受け方は、すべて自分で決めます。力を入れるところと手を抜くところも、自分で決めます。
自分で決断しなければならない場面が、一気に増えるということです。ですから、迷ったり不安になったりするのは、とても自然な反応です。
今の社会は、「VUCA」と呼ばれる時代に入っています。変動性、不確実性、複雑性、曖昧性という状況が続いています。
プールと海
絵を使って説明します。皆さんの高校時代は、左側のプールのようなものだったのではないでしょうか。ルートは決められていて、大学入試に向けて進んでいく。体格や勉強量、練習量によってスピードが違い、スピードが速い人が勝つ、という考え方です。
ところが社会は、右側のような海です。海には通路も線もありません。スピードではないのです。右のような競技では、30分の間に、同じ風や同じ波が二度と来ることはありません。自分で波を選び、自分のパフォーマンスをして、それを評価される。社会はそういう世界です。

2. 時間は命である
こうした中で、限られた大学生活の期間、たとえば4年、あるいは6年の間に、何を基準にどう過ごすのか。ここでは、4つの基本基準を出してみます。年齢、時間、体力、お金です。
【図2:年齢(学生・社会人・シニア)と、時間・体力・お金の関係を示した表】
表のとおり、学生には時間がたっぷりあり、体力は最高ですが、お金は少ない。社会人になると、体力は落ちていき、時間がありません。でもお金はたくさんあります。シニアになると、時間はありますが、体力はもうなく、お金は少しある、という状態です。
さらに整理しましょう。お金を得るためには、才能、知識、経験、そして労働時間、つまり勉強時間が必要です。これらは減らすことはできますが、ゼロにすることはできません。関数で整理すると、体力は時間の逆関数です。つまり、体力は命であり、時間は命だということになります。
【図3:体力と時間の関係を整理したスライド】
「Time is money」とよく言われますが、ここでは「Time is life」と言えるのではないかと考えます。私たちは貴重な時間、つまり命を削ってお金に換えて生きています。学ぶことや働くことが単にお金を稼ぐ手段でしかないとしたら、それは命を削ってお金を得ているだけです。生きるためにお金を得て、お金を得るために命を削る。ちょっとしたパラドックスが出てきました。
言いたいのは、学ぶこと、あるいは働くことに、少しでも意味や楽しみを見出さなければ、人生をただ燃やしてしまうことになる、ということです。
情報の海の中でオフを取る
バイオリズムの話をします。私たちは毎日のようにインターネットから情報を得ようとしますが、忘れてはいけないのは、インターネットは24時間オンだということです。ずっと生成され続けています。ところが人間は、バイオリズムという観点では、これまでもこれからも、24時間周期でオンとオフを繰り返す生き物です。
生成AIも含めて、今は情報過多の時代で、情報がたっぷり流れてきます。常にオンの状態ですが、人間の脳には、処理できる容量に限界があります。効率を求めて睡眠を削り、24時間頑張ろうとするのは、AIやインターネットと戦っているのと同じです。これには気をつけなければなりません。
【図4:豊かさを構成する4つの要素(健康・時間・お金・地位)】
豊かさという観点で、4つで整理してみます。健康は豊かさですし、自由な時間も豊かさです。ただ、よく考えておかなければならないのは、社会は私たちの時間と健康を奪って、お金や地位を売ろうとするかもしれない、ということです。
自分の命、つまり時間と健康を守るためには、戦略的に自分のオフを取ることが必要です。同時に、マネジメントも必要になります。管理すべきことは2つあります。時間が少ないので、時間をマネジメントすること。そして情報があふれているので、それをフィルタリングして切ること。「この情報は見ない」というように、知識の入り口も管理する必要があります。
3. エントロピーで考える
選択肢を測る物差し
限られた時間の中で、自由度や選択肢の大きさを測る物差しとして、「エントロピー」を紹介します。学んだ人もいるかもしれません。熱力学でボルツマンらが提案した概念で、1948年にシャノンが、これは情報学の分野でも使えるのではないかと提案しました。何かができて、何かができないか、その幅を表す量です。
情報学のエントロピーの式では、情報量が多いということは、サプライズ、つまり驚きの期待値が大きいということになります。つまり、高いエントロピーの人は、多くの選択肢を持っている人です。
言い換えると、たとえば就職活動のような試験にも強い。この人材には将来性がある、ということです。予測はできないけれども、壊れにくい、ということになります。
【図6:低エントロピー(左)と高エントロピー(右)のシステムを比較した図】
絵で説明します。左が低いエントロピー、右が高いエントロピーの図です。そこに不純物が刺さるとします。左は、3本の不純物がはっきり見えます。右はどうでしょうか。すぐには見つかりません。つまり、高いエントロピーのシステムは、適応性が高いということです。
葉脈の研究
2024年の論文で、葉っぱの葉脈ネットワークと、害虫に食べられた場合どうなるかを調べたものがあります。論文と言っても、シミュレーションモデルです。結論は、この複雑さが生き物の生存戦略になる、ということでした。複雑なネットワークを持つ葉っぱ、つまり高いエントロピーの葉っぱは壊れにくく、この研究では、40%を虫に食べられて穴が開いても、生き残れるそうです。メッセージはシンプルで、シンプルな構造ほど壊れやすい、ということです。

履修科目に置き換える
式が少し複雑かもしれませんが、履修科目に置き換えてみます。要素は、数学、物理、化学、生物、そして人文社会科学、さらに留学や他学部・他学科での授業です。留年も含めて、ここも一つの要素とします。Aさん、Bさん、Cさん、Dさんがいるとします。
【図8:履修配分の例(Aさん〜Dさん)とエントロピーの値】
【要確認:BさんとDさんの配分と値をスライドから入れる】
Aさんは、1つ目の科目群の数学または物理、2つ目が化学または生物だけを取ります。この場合のエントロピーは0.81ビットです。そこに3つ目の科目群である人文社会科学を加えるとエントロピーは上がります。さらに4つ目の要素となる他大学の授業や留学に履修・時間を使うと、もう少し上がります。この中で一番高いのはCさんで、上手に、言い換えれば均等に配分しています。自分の弱い分野にも時間を割き、留学なども入れて、1.69ビットと、一番高くなります。
つまり、Aさんは一見安定していますが、実は脆い。Cさんは一見不器用に見えますが、実は強い。強い人材だということになります。
もう一度気づいてほしいのですが、学生の特権は、自由度と選択肢を持てるところです。科目の履修、留学、他大学の授業を取ること、これらはすべて選択の一つです。時間割の(横の)1本のラインを、1学期、1年で頑張って全部埋める必要はありません。急いで履修しない勇気も、持ってほしいと思います。
4. 寄り道の価値を示す2つの研究
ここで、2つの研究を紹介します。
① カリフォルニア大学バークレー校:ロボットの学習
アメリカのカリフォルニア大学バークレー校の研究では、ロボットの機械学習に、このエントロピーの概念を取り入れています。詳しい説明は省きますが、結論だけお話しします。
【図9:グレーの山(世界)と、赤・緑の学習パターン】
このグレーの山が世の中だとします。赤いパターンは鋭いパターンで、効率的だと言われ、最短距離で一つの頂上にたどり着きます。ところが、繰り返しになりますが、これは脆い。グレーの山が動いたら、このAIモデルはすぐにゼロになってしまいます。
一方、右側の緑のパターンは、広く持っているパターンです。ロボットの学習で言うと、あえて寄り道をしたり、多様な経験をさせたりします。一見すると効率が悪そうですが、グレーの山、つまり世界の状況が変わっても、どこかで生き残れる。このレジリエンス、強靭さを示すのが、右側の緑の山です。
私が言いたいのは、この4年間、6年間を、効率だけで生きようとしないでほしい、ということです。たとえば、テストに出ることだけ勉強すればいい、というのは、赤い山のパターンです。世界が変わったときに、立ち行かなくなります。気をつけましょう。
緑の山のように、無駄に見える経験をして、好奇心に従って、エントロピーを広げてください。そうすれば、予測不能な未来への保険を手に入れることができます。
② トロント大学:未来の切り開き方
もう一つは、トロント大学の論文です。未来をどう切り開くかについて、エントロピー最大化の考え方を取り入れた論文で、面白いと思って参考にしました。
【図10:自分の領域(円)を広げ、目標(星)に近づくモデル】
右の星が、自分の目標だとします。分かったのは、自分の目標にまっすぐ向かうよりも、自分のエントロピー、つまり自分の領域であるこの円を広げることに集中したほうが、結果的に目標に到達しやすい、ということです。計算上のモデルですが、円を広げ続けていれば、いつの間にか目標が、円の中に飲み込まれていた、という結果になりました。
Editor’s Note:円には「中心」がある
このモデルは、自分の核(円の中心)があって、その周りに領域が広がっていくものだと読めます。核を持たずに広げるのではなく、核を持った上で広げる。前の節で述べた「専門性」との関係は、ここで整理できそうです。
5. 私の歩みと、研究室の卒業生たち
小さな決断の積み重ね
ここで、私自身の話をします。詳しくは、プロフィールのQRコードや、インターネットでカタカナで検索してもらえれば出てきます。私には苗字がないので、「レンゴロ」で出てくるのは、だいたい私のことです。
私は奨学金制度で、インドネシアの大学をいったん中退しました。「日本に行け」「化学工学を学べ」「広島大学に行け」と、自分では選べませんでした。条件は限られていましたが、その中で、小さな決断を今日まで積み重ねてきました。
研究室の設計
その一つが研究室です。農工大に来て、18、19年前に研究室を立ち上げ、これまでに55名以上の卒業生を指導してきました。ユニークな学生たちでした。印象的だったのは、彼ら自身も気づいていない自分の可能性に、私が出会ってきたことです。これは何度も見てきました。

私の研究室は少し見づらいかもしれませんが、多様性を受け入れるために、工学系のエッセンス(物理・化学)と、農学系のエッセンス(大気環境、食料、植物)を組み合わせた、4つの要素で設計しています。学生はこの中で、自由に自分のテーマを設計します。このやり方を15年以上続けてきて、学生の考え方に影響があることが分かってきました。
卒業生の進路
学部や修士を出た学生の進路を整理しました。多いのは素材・化学分野で、プラント建設も多く、電力・ガス系もかなりあります。ほかに、自動車、エレクトロニクス、半導体、食料、生命系、公務員・自衛隊、コンサルタントもいます。
博士課程後期に進んだ学生は、20人近くです。インドネシア、マレーシア、日本、そしてイギリスに1名と、場所は広がっています。分野も面白くて、化学工学、環境工学、食品プロセス、生命理工系。物理学の准教授もいますし、企業では、半導体メーカーや計測機器メーカーにも進んでいます。
成績ではなく、学ぶ力
個人情報なので名前は出せませんが、ここで紹介する3人には、共通点があります。成績が、最下位に近かったのです。
一人は、世界最大級のテクノロジーコンサルティング企業で働いています。一人は、最大手の自動車メーカーで、パワートレーンという中心的な部門にいます。大学入試に落ちた経験をした人もいます。それでも、成績ではないのだと分かりました。
もう一人は、学部時代の成績のGPAが2.0あるかないかでした。卒業論文、修士論文、博士論文と進み、今は都内の大学の准教授として自分の研究室を持っています。数年前からは、日本で最も競争が激しい、個人研究の最高峰の研究費制度に採択され、立派になりました。
つまり、彼らが身につけたのは、学んだ内容ではなく、学ぶ力、そのプロセスです。自分でテーマを設計し、考え、最後まで自分で責任を持つ。この経験が、社会に出てからも最も大きな力になるということが、分かってきました。
※成績が重要でないという意味ではありません。しかし、成績だけで将来が決まるわけでもありません。
6. 生成AIにすべてを任せてはいけない理由
ここで話題を変えます。毎日使っている人もいるかもしれませんが、生成AIにすべてを任せてはいけないのはなぜか、という話です。
創造性とは「組み合わせ」である
イノベーションとは何か。多くの人が言っているのは、何もないところに生まれる天才的なひらめきではなく、既存の要素の新しい組み合わせを発見することだ、ということです。他の誰もつないだことのない事実を組み合わせるのです。


私は子ども向けの絵本で、万年筆の誕生を見て、このことをひらめきました。万年筆は、インクとペン先からできています。これは、生成AIに体験できるでしょうか。インクが垂れていく現象は、物理で、数式や仕組みで表すことができます。AIは計算や表現はできますが、手がありません。手が汚れるのが嫌だという感覚もなく、もっと便利にしたいという願望もありません。
人間は、手が汚れ、失敗し、思い通りにいかないという、人間ならではの経験をします。それがなければ、万年筆は生まれなかったのだろうと、今は考えています。
メッセージは、効率よく、きれいに生きようとしないでほしい、ということです。手が汚れる場所、つまりカオスにこそ、人間の価値があると考えます。
エジソンの電球
有名なのはエジソンです。電球を発明したと言われますが、彼は何もないところから発明したのではありません。真空技術や電力供給システムといった既存の要素を、自分のチームの中に持っていて、そのチームという、人間の集まりの仕組みも考えました。

一番面白いのは、フィラメントの材料です。日本の京都の竹を、エジソンのスタッフの一人がアメリカに持ち帰り、これがいいということになりました。1880年代に、世界で初めて寿命の長い白熱電球ができた、と言われています。
つまり、既存の知識を深めるだけでなく、他の分野の知識も取り入れること。苦手なことや未知のことに、新しい視点で挑戦することが重要だというのが、今日私が言いたいことの一つです。まとめると、創造性には、疲れたあとの休息、つまりオフが必要で、深い思考や失敗から生まれる、と考えます。
7. 農工大は「エントロピーが高い大学」
では、この大学はどんなところでしょうか。ご存じのように、農学と工学しかない、と考えるのではなく、農学部と工学部があるからこそ、何が起こるのかを考えてほしいのです。これは世界的にも珍しいことで、先ほどのエントロピーの話で言えば、エントロピーが高い大学です。
教員は約390人。実はこの全員がほぼ100%博士号を持っていて、これは国内ナンバー1です。教員あたりの論文数も、いつも上位に入っています。
つまり、生成AIには作れない何か、イノベーションの組み合わせが、ここに眠っていると考えてください。大学を、自分の領域、フロンティアを広げるための土台として、武器として、使い倒してほしいと思います。
8. 自転車に乗れるようになるまで
最後に、自転車に乗れるメカニズムを考えてみましょう。
私たちは、転びながら決め続けて、小さな修正を積み重ねます。物理の法則、ニュートンの法則を、子どもたちは知らなくても、結局乗れるようになります。失敗し、修正し、再挑戦する。このループの繰り返しです。
つまり、学びは知識ではなく、経験を伴った決断から生まれる、と言えます。

今日のまとめ
今日のお話を、3つだけにまとめます。
- 時間は命です。
- 大学は、選択肢と失敗が許される場所です。
- 人生を形づくるのは、大きな決断ではなく、小さな決断の回数です。
正解はすぐには分かりませんし、多くの場合は、あとからしか分かりません。それでも、考えて、選んで、動くことが大切です。その積み重ねが、皆さんの将来の可能性を広げていきます。今日は、そのための考え方をお伝えしました。

編集者ノート1: プールから海への移行を支えるもの
移行はどう支えられるのか 18年間プールで泳ぐ訓練を受けてきた新入生が、いきなり「海」に出て泳げるだろうか、という疑問は自然なものです。講演の「海」は、放り出されることではなく、選択を自分に委ねられることだと読めます。ただし、プールから海へは一気に切り替わるものではなく、段階的に移っていくものでもあるはずです。学習相談、履修ガイダンス、研究室見学、先輩との接点など、使える支えを知っておくこと自体が、海での自衛になります。
編集者ノート2: 情報を減らすことと視野を広げること
情報の「フィルタリング」と「視野を広げること」は両立するか 講演では、見ない情報を切ることが勧められる一方で、後半では視野を広げ、エントロピーを高めることが勧められます。一見すると、この二つは矛盾して見えます。情報を絞りすぎると、自分の好きなものしか目に入らなくなり、視野がかえって狭くなる恐れがあるからです。
たとえば、SNSや動画サイトは、見たものに近い内容を次々と表示します。ある分野ばかり見ていると、その分野の情報ばかりが並び、他の話題や別の意見が目に入りにくくなります。これが「フィルターバブル」とよばれます。さらに、同じ考えの人ばかりが集まる場所にいると、自分の意見が繰り返し肯定されて、それが世の中全体の意見のように思えてきます。これが「エコーチェンバー」(自分の声が反響する部屋)です。
この矛盾は、「量を絞る」ことと「多様性を保つ」ことが別の軸だと考えると整理できます。見る量は減らしても、普段触れない分野や、自分と違う意見を、意識的に一部入れておく。通知を切る、見る時間帯を決めるなど、入り口を管理する具体的な方法は、各自が試しながら見つけていくことになります。
編集者ノート3: 急いで履修しない勇気と現実の制約
寄り道には価値がありますが、無料ではありません。留年は学費の増加につながり、奨学金や在籍年限にも関係する場合があります。「無駄に見える経験」は、自分の時間と予算の範囲内で行うからこそ、保険として機能します。寄り道を「必要な基礎や単位を落としてよい」という意味に取ると、エントロピーの最大化ではなく、単なる先送りになってしまいます。基礎を押さえた上で、余力を使って広げる。講演のメッセージは、そう読むのが現実的だと考えます。
編集者ノート4 専門性とエントロピー
広く取るだけでは、専門性は育たない エントロピーの式を履修配分にそのまま当てはめると、全分野に均等に時間を配分した状態が、最も高いエントロピーになります。しかしこれは、何でも広く浅く取ることが最適だという意味ではないはずです。専門性を持たない器用貧乏は、むしろ代替されやすい。一つの核となる強みを持ち、その上で横に領域を広げる、いわゆる「T字型」の考え方と組み合わせると、メッセージはより現実的になります。
高エントロピー(広く寄り道)のメリット: 変化に強く、予測不能な発想が生まれやすい。
高エントロピーのデメリット(盲点): お金と時間のコストがかかる。突き抜けた武器(専門性)を失うと、かえって生成AIに代替されやすくなる。
戦略の修正案: 完全な均等配分(Cさん)を目指すのではなく、「ベースとなる専門分野」に7割ほど、残りの3割ほどを「カオス」(留学や異分野)に充てる、というバランスが現実的ではないか。この7:3は一つの目安であり、最適な比率は人や分野によって違うはずです。
編集者ノート5 エントロピーという比喩の限界
講演のメッセージは、「基礎を押さえた上で、余力で広げる」という前提で読むと、現実の行動に落とし込みやすくなります。一言でまとめるなら、次のようになります。
エントロピーの最大化は、強固な基礎と経済的な安全ベースがあって初めて機能する、高度な戦略である。まずはプールで溺れない力(最低限の成績と卒業要件の確保など)をつけた上で、海(カオス)へ漕ぎ出す。
次の問いを、自分に向けて考えてみてください。
– 自分の履修計画で、「核」と「寄り道」を、それぞれ何にするか。
– 自分にとって、フィルタリングする情報と、あえて取り入れる情報は何か。
– 生成AIの出した答えを、現実の中でどう試すか。
本稿ではエントロピーを「選択肢」や「将来の可能性」の比喩として用いた。しかし、高いエントロピーそのものが目標ではない。大学生活において重要なのは、専門性という軸を持ちながら、異なる分野や人との出会いを通じて視野を広げることである。探索と集中、その両方のバランスが将来のレジリエンスにつながると考えている。大学生活の前半では視野を広げることが重要である。一方で、卒業研究や大学院では、一つのテーマに腰を据えて向き合う経験も必要である。
編集者ノート6: 生成AIの能力と「手が汚れる経験」
現在の生成AIは、人間が一生で読みきれない量の知識を学習し、多様な組み合わせを高速に生成できます。その意味で、単純な知識の組み合わせだけであれば、人間を上回る場面もあります。また、多くの試行錯誤はシミュレーションで代替できるようになりつつあります。失敗を経験せずとも学べる部分は、今後さらに増えるでしょう。
それでも、人間の経験には偶然や身体感覚、現場特有の制約、人との関係性といった予測しにくい要素が含まれます。それらはしばしば新しい問いや発見の出発点になります。
「手を汚す」とは、単に苦労することではありません。
AIが提案した答えを、実験室や現場、人間社会の中で実際に試し、予想通りにいかない現実と向き合うこと。その過程で新たな問いを見つけること。それもまた、現代における「手を汚す経験」の一つなのかもしれません。
## 図の一覧とキャプション
| 図1 | 高校までは「プール」、社会は「海」 | 決まったコースのあるプールと、コースのない海の対比 |
| 図2 | 年齢と時間・体力・お金の関係 | 学生・社会人・シニアごとの時間、体力、お金の比較表 |
| 図3 | 体力と時間の関係 | 体力と時間の関係を整理したスライド |
| 図4 | 豊かさを構成する4つの要素 | 健康、時間、お金、地位を示した図 |
| 図5 | 情報エントロピーの式 | シャノンの情報エントロピーの式 |
| 図6 | 低エントロピーと高エントロピー | 不純物が見つかりやすい図と見つかりにくい図の比較 |
| 図7 | 葉脈ネットワークと害虫のシミュレーション | 葉脈が一部食べられても残るネットワークの図 |
| 図8 | 履修配分とエントロピー | 履修科目の配分例とエントロピー値の比較 |
| 図9 | 鋭い学習と広い学習 | 山の上を進む赤と緑の学習パターンの図 |
| 図10 | 領域を広げると目標に近づく | 円が広がり星(目標)を取り込んでいく図 |
| 図11 | 研究室の設計 | 工学系と農学系の要素を組み合わせた研究室の構成図 |
| 図12 | 卒業生の進路 | 卒業生の進路分野を示した図 |
| 図13 | 万年筆 | インクとペン先からなる万年筆 |
| 図14 | エジソンの白熱電球 | 竹のフィラメントを使った白熱電球 |
| 図15 | 大学のデータ | 教員数、博士号保有率、論文数を示したスライド |
| 図16 | 自転車に乗る | 自転車に乗る子どものイラスト |
| 図17 | 今日のまとめ | 3つのメッセージを示したスライド |

